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【西郷南洲公について 第2話】

【西郷南洲公について 第2話】

今日は「西郷南洲翁伊作来遊事跡調査」の資料の語り部記録の内容についてです。

西郷南洲翁の人柄についても書かれています。

25人の中から抜粋して掲載いたします。

(原文は読みにくいので編集して記載いたします。^^;)

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'中島昌揚氏談'(大正15年11月聴取) ※私の曾じいさんの語り部です。

●翁を訪問した人々は沢山あったけど、議論になる事は少なかった。

 まれに議論になっても翁は一言で説き伏せて二の句を告げる人はいなかった。

●当時、近所に活発な子供がいて、時々翁の萬居にきて「サイゴ、サイゴ」とはやしながら

 踊ると翁は笑いながら面白い奴だと愛撫した。子供の年から推測すれば明治7年である。

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'宇都為栄氏談'(大正15年9月以降数回聴取)

●水戸より伊作に翁を訪ねて来て、翁に「学問は多くある、何学がよろしいでしょうか?」

 の問に人忠孝を守らば学問の多岐は問うの要はありますまい」と答えた。

 他にも尾張藩からも有志が訪ねて来て教育について相談していたそうだ。

●翁の談に「今後は教育を進めなくてはいけない。

 小学校に止まらず、中学校を設立し、子弟の教育を盛んにし士風を振興せねばならぬ」と

 「教育にはお金がいる、お金を作るには島津家所有の山林を村有にする」と言っておられ、

 村有山林はその時に始まったのである。

●翁はナポレオン、ワシントンなどの話を敬語を使ってされていた。

以上の事は明治3年の初夏と覚えている。

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'黒川澄江氏談'(大正15年12月聴取)

●兄は1〜2名と翁の萬居に行き「狩ならばお供しましょう」と申すと翁は

 「今日は亡き弟吉次郎が重創を負うた日であるから、精進して謹慎し、狩には行かぬ」

 と翁の弟を弔い友愛の情厚きに感心した。

●兄が野菜、魚を持って翁に進呈した事が数回あった。

 翁は「なんかくれんなら(何か差し上げないと)」と奉書に詩を書いてくださった。

 これを大切に保存していたが、十年の役に官軍が来てこれを探し出し持ち去った。

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'浜田クニさん談'

●萬屋のおつるさんが言われるには、「西郷殿いう人は良い人で、昼も夜もお客がある。

 鹿児島から帰られよと使いも手紙もくる。」と明治7年の頃である。

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'市来嘉之助氏談'(大正15年10月聴取)

●十年の役後、南洲翁の書を持っている人は罰せられるとの

 説がってこれを処分した と聞いたことがある。

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つづく.....

2016年9月29日 21:46